平成二十七年 三月十七日 忍塚・無縁塔(富士見町公園/横須賀市)

3月17日。

憂国我道会は横須賀の富士見町公園の「忍塚」及び「無縁塔」を慰霊した。

「忍塚」は幕末の頃、横須賀製鉄所の建設に従事した囚人151名と行路病死者の霊を慰めるために大正11年に建てられた。製鉄所の建設には、江戸石川島の人足寄場から集められた囚人が従事したそうだ。

製鉄所は、明治以後に名を変えて日本海軍の「横須賀海軍工廠」となる。

「無縁塔」も大正11年に建立された塚である。

無縁塔の側面には、寄付者として色街の関係者の名前が記載されている。

横須賀は海軍の街ということもあって、色街が栄えた。

富士町公園の近隣には柏木田遊廓、安浦遊郭という遊郭があったそうだ。

小説家の、山口瞳の私小説に「血族」がある。

「血族」によると、山口瞳の母は柏木田遊郭の経営者の娘に当たるそうだ。

山口瞳は自分のルーツを見つけるべく、柏木田遊郭の取材を行う。

「血族」には当時の遊郭のことを知る地元住民の声が記載されている。

「女郎が病気をしますと、地下に座敷牢があって、そこへ入れて、何にも食べさせずに、もちろん、医者にも見せないんです。体に蛆が湧いてくるんです。それで、死んでしまうと、夜中に捨てに行くんですからんね」

遊郭の女性は自由な外出も恋愛もすることもできず、借金に縛られ、その多くは不幸な死に方をされたそうだ。

柏木田遊郭、安浦遊郭はもう存在しない。戦後も「赤線地帯」として栄えたが、1956年の売春防止法の施行によって衰退し始め、平成に入るころには完全に消滅した。街も再開発が進み、遊郭があったと言う痕跡を見つけることすらもままならない。

しかしながら、横須賀の街の繁栄の裏には、社会的に弱い立場にあった人々の犠牲や苦難があった。その歴史は、忘れてはならないことだと思う。