皇紀二千六百七十四年 十月二十九日 成覚寺・子供合埋碑

10月29日。
憂国我道会は、新宿区新宿2丁目の成覚寺の子供合埋碑を奉拝した。

子供合埋碑とは、江戸時代に内藤新宿で暮らしていた”飯盛女”たちを弔う共同墓である。
江戸時代の新宿は、甲州街道の宿場町として栄えており、内藤新宿と呼ばれていた。
“飯盛女”とは、宿場町の宿屋で奉公をしていた女性である。表向きは仲居として務めたが、私娼のような仕事をすることが多かったと言われている。

“飯盛女”は雇用主(抱え主)からは「子供」と呼ばれていた。
それゆえ、この碑は「子供合埋碑」と呼ばれている。

“飯盛女”の境遇は悲惨であったと言われている。
彼女たちの多くは地方の貧農の娘である。彼女たちは雇用主から人身売買同様に抱えられて、客を取らされた。
奉公の途中で、体を壊すと看病をされることもなく放置された者もいたであろう。

そして、亡くなると、身ぐるみを剝されて、俵に押し込まれて物のようにお寺に投げ込まれた者もいたとされる。
このような寺院は「投げ込み寺」と呼ばれている。成覚寺も「投げ込み寺」の一つとして知られている。この碑はそうした女性たちを弔うために建てられたとされている。

街の繁栄の裏にある悲惨な歴史に思いを馳せて、静かに慰霊を行った。